松戸市の地名の由来 その一

松戸市の地名の由来  その一
暮らし

地名とはその土地の歴史と深く関係している。

地名の由来を知ることは、地域の歴史を知ることでもある。
 

松戸市に住んでいる方やこれから住もうと考えている方も

地名の由来に触れてみて、街の歴史を感じ取ってほしい。

① 明(あきら)

松戸市の地名の由来  その一

​※写真 松戸市明市民センター

明治22年4月1日に上本郷村、南花島村、竹ヶ花村、古ヶ崎村、

伝兵衛新田、根本村、小根本村、岩瀬村、松戸新田の9か村が

合併して明村が生まれた。

 

これまでの村は大字(おおあざ)となり、これに中和倉飛地

を加えた10大字を編成した。村役場は竹ヶ花に置かれた。

 

明村の「明」は、当時の年号の明治から一字を取り、

「明治という幸せな時代に生まれた村だから」という意味

があるのだとか。

 

明の名前は現在、住居表示には利用されておらず、新京成線

上本郷駅北口1分のところにある「明市民センター」という

市の施設として名前が残っている。

 

② 岩瀬(いわせ)

松戸市の地名の由来  その一

※写真 松戸市岩瀬の街並み


台地中央北寄り谷津田低地の矢頭から江戸川へ向かって細流

(瀬)があり、一方周辺成田層からは当地特有の渇鉄鋼

(かってっこう=鉄の酸化鉱物)岩盤が出土転落する。

 

地名はこの瀬・岩が合わされたことによるという。

 

松戸駅東口出てすぐの地域を差す岩瀬には、小学校や中学校、

大学が設立されている。

③ 御立場(おたつば)

松戸市の地名の由来  その一


※写真 新京成バス(五香駅~松飛台間)「御立場」停留所​


五香公園の中に「史跡 御立場跡」の碑がある。

 

野馬の放牧場、小金牧では8代将軍徳川吉宗が2回、11代

将軍徳川家斉と12代徳川家慶が1回ずつ「御鹿狩」(おし

しがり)を行った。

 

将軍が10万人を動員したと伝えられる大規模な狩りを指図

するために、この付近に大きな塚を作り、15メートル四方

桧造りの御座所が建てられた。

以来、この地は御立場と呼ばれるようになった。

 

御立場の名前は現在、新京成バス(五香駅~松飛台駅間)の

停留所の一つとして残されている。

施工事例