松戸市の地名の由来その三

松戸市の地名の由来 その三
暮らし
地名とはその土地の歴史と深く関係している。
地名の由来を知ることは、地域の歴史を知ることでもある。

松戸市に住んでいる方やこれから住もうと考えている方も
地名の由来に触れてみて、街の歴史を感じ取ってほしい

⑦ 上本郷(かみほんごう)

松戸市の地名の由来 その三
「ほんごう」ともいう。千葉氏流東氏一族の風早胤康が
当地に居館を構え、子の康常が風早郷の地頭となった。

居館のあった場所は、今の風早神社のある場所で、
風早郷の中心という意味で、本郷という呼び方が
定着したのではないかという。

江戸時代の初期には、同じ下総国葛飾郡(かつしかごうり)
に2つの本郷村(もう1つは船橋市の栗原)があり、
区別するために、上本郷村と下本郷村にしたという。
下本郷はその後、栗原本郷とと呼ばれるようになった。

⑧ 紙敷(かみしき)

松戸市の地名の由来 その三
千葉氏は桓武平氏。桓武天皇のひ孫の高望(たかもち)
が平「たいら」の性を受けて上総国に定着した。

三男の良将の子が天慶の乱(935年~940年)を
起こし、平親王を名乗った平将門。市川や沼南、我孫子
を散策すると将門にまつわる伝承が残っている。

松戸市内の紙敷にも上屋敷があったとする説がある。
紙敷は上屋敷が変化して紙敷という地名になったという。
 

⑨ 河原塚(かわらづか)

松戸市の地名の由来 その三
大塚・狐塚の古墳群を関連して国分川の河原近くにある
塚に由来する。

あるいは、土器は「かわらけ」とも呼ばれるので、土器
が大量に出土した台地(河原塚古墳群)に由来するもの
と推測される。

施工事例