暮らし
地名とはその土地の歴史と深く関係している。
地名の由来を知ることは、地域の歴史を知ることでもある。
松戸市に住んでいる方やこれから住もうと考えている方も
地名の由来に触れてみて、街の歴史を感じ取ってほしい。
地名の由来を知ることは、地域の歴史を知ることでもある。
松戸市に住んでいる方やこれから住もうと考えている方も
地名の由来に触れてみて、街の歴史を感じ取ってほしい。
④ 大橋(おおはし)
※写真 大橋の地名の由来の橋 「大橋」
国分川にかかる国道464号線の橋に由来する。
国道464号線は古くから松戸と東部地区をつなぐ幹線で、
かつては徳川将軍家も「御鹿狩(おししがり)」に利用した
ところから「御成道(おなりみち)」とも呼ばれていた。
大橋は市川市北国分4丁目~松戸市和名ケ谷の間に位置する
地域で、松戸市でも広大な敷地を有する地域の一つである。
国分川にかかる国道464号線の橋に由来する。
国道464号線は古くから松戸と東部地区をつなぐ幹線で、
かつては徳川将軍家も「御鹿狩(おししがり)」に利用した
ところから「御成道(おなりみち)」とも呼ばれていた。
大橋は市川市北国分4丁目~松戸市和名ケ谷の間に位置する
地域で、松戸市でも広大な敷地を有する地域の一つである。
⑤ 大谷口(おおやぐち)
※写真 大谷口にある公園 「大谷口歴史公園」
小金城の築城を直接担当した阿彦丹後入道の子孫が正保3年
(1646)に書いた「小金城主高城家之伝来」には、
”東有大手口、良有達磨口、北有金杉口、南有大谷口…”
とある。
大矢口とは城郭の南面に大きく開いた谷頭の出入り
口という意味合いで、小金城南口は大谷口(大矢口)と
名づけられたのだろう、と松下邦夫氏は松戸新聞のコラムに
書いてある。
大谷口の名前はこれより以前の「本土寺過去帳」の室町時代
初期の記述に見えるが、地名については地勢的なものに起因
するのではないか、と推測している。
大谷口はJR常磐線「新松戸」駅と「北小金」駅、流鉄流山線
「幸谷」駅と「小金城址」駅との間に挟まれている地域である。
小金城の築城を直接担当した阿彦丹後入道の子孫が正保3年
(1646)に書いた「小金城主高城家之伝来」には、
”東有大手口、良有達磨口、北有金杉口、南有大谷口…”
とある。
大矢口とは城郭の南面に大きく開いた谷頭の出入り
口という意味合いで、小金城南口は大谷口(大矢口)と
名づけられたのだろう、と松下邦夫氏は松戸新聞のコラムに
書いてある。
大谷口の名前はこれより以前の「本土寺過去帳」の室町時代
初期の記述に見えるが、地名については地勢的なものに起因
するのではないか、と推測している。
大谷口はJR常磐線「新松戸」駅と「北小金」駅、流鉄流山線
「幸谷」駅と「小金城址」駅との間に挟まれている地域である。
⑥ 金ケ作(かねがさく)
※写真 金ケ作の地名の由来 「野馬除土手」
「かながさく」ともいう。
地名の由来は、古代下総牧の一部に当たり、金牧(こがねぼく)
の馬柵である野馬除土手(のまよけどて)があったことによる。
金ケ作は新京成線「八柱」駅~「五香」駅の線路に沿うように
広がっている地域(21世紀の森と広場を除く)で小学校2校に
中学校、支援学校と教育機関が数多く点在するエリアでもある。